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社宝〜遺品・遺墨・遺言〜


社宝

御殉死の刀



勲一等旭日桐花大綬章

功一級金鵄勲章



「頒恩賜第三軍紀念」の金時計

グランドクロスオブバス勲章
(イギリス)



静子夫人愛用の品々

愛用の単眼鏡
【単眼鏡の由来】
乃木将軍は少年時代国元下関長府で、6畳1間に5人と云う窮乏生活をせられた。或る夏の朝、母親が蚊帳をたたむ折、吊手が誤って乃木少年の左目にあたり、以来殆ど視力を失ったが、将軍は終生これを人に語られなかった。神社に所蔵するこの単眼鏡はドイツツワイス社製の双眼鏡を単眼鏡に作り換えたもので、もう一つは下関の博物館にある。将軍の至孝が偲ばれる。



乃木将軍が自ら収集された石と神社に奉納された由縁の石

乃木将軍の初宮詣着用祝着
四つ目紋と袖、裾には馬が描かれている
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遺墨

教育勅語
明治42年1月 敬書された学習院学則明治42年学習院のために敬書された勅語
「明治天皇は、道徳の普及、教育の向上を望まれて、明治23年10月30日「教育に関する勅語」をお示しになられた。」



明治36年3月 那須野の村荘より石黒男爵におくられた歌。



「一滴千金男子涙 多情或有 似 無情」
多情多感の人が涙を抑へ無情な冷血漢の如く見える場合があるが、其の様な人が流す涙の一滴は無量のものであり、正に千金に価すると云う意。

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詩歌
漢詩
乃木将軍が古来希に見る優れた詩人である事は、広く世に知られている。
将軍は、御在世中実に多くの漢詩・和歌を残しておられるが、それらを通じて、将軍の人柄や、その時々の風懐を偲び得る。殊にその漢詩は、中国人識者をも驚嘆させる程で、不朽の名作一二を下らず、今日なお多くの吟詠家によって愛誦されている。


明治37年6月7日、旅順戦への途次、金州城外南山の新戦場を訪れ、胸中無量の感慨を以て作られた。南山は、勝典中尉を含む、数多くの将兵が斃れた激戦地である


明治37年12月11日、203高地が堕ち旅順が一段落ついた頃の作である。旅順攻略戦に斃れた将兵は一万近くに上ったが、その霊を労らい、その功を永く後世に伝えんとして爾靈山と名付けられた。この激戦に於いて次男保典少尉も戦火に斃れた。


明治38年法庫門滞陣中、日露の講和が成った後の作である。
この戦争中祖国の為に戦火に斃れた部下将兵に対し、更にその遺族に対し、深い悲しみと自責の念に抱かれ、その御気持をこの詩に託されたのである。
(以下3編は「乃木三絶」と称されている)

和歌
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遺言
第一 自分此度御跡ヲ追ヒ奉り自殺候段
   恐入候儀其罪ハ不軽存候然ル処
   明治十年之役ニ於テ軍旗ヲ失ヒ其
   後死處得度心掛候も其機ヲ得ス
  皇恩ノ厚ニ浴シ今日迄過分ノ御優遇
   ヲ蒙追々老衰最早御役ニ立候時も
   無餘日候折柄此度ノ御大変何共恐
   入候次第茲二覚悟相定候事ニ候

第二 両典戦死ノ後は先輩諸氏親友諸彦
   よりも毎々懇諭有之候得共養子ノ
   弊害ハ古来ノ議論有之目前乃木大
   見ノ如キ例他ニも不尠特ニ華族ノ
   御優遇相蒙リ居実子ナラハ致方も
   無之候得共却テ汚名ヲ残ス様ノ憂
   ヘ無之為メ天理ニ背キタル事ハ致
   ス間敷事ニ候
   祖先ノ墳墓ノ守護ハ血縁ノ有之限
   リハ其者共ノ気ヲ付可申事ニ候乃
   チ新坂邸ハ其為メ区又ハ市ニ寄附
   シ可然方法頼度候

第三 資財分與ノ儀ハ別紙之通り相認メ
   置候其他ハ静子(より)相談可仕候
第四 遺物分配ノ儀ハ自分軍職上ノ副官
   タリシ諸氏ヘハ時計メートル眼鏡
   馬具刀剣等軍人用品ノ内ニテ見計
   ヒノ儀塚田大佐ニ御依頼申置候大
   佐ハ前後両度ノ戦役ニも尽力不少
   静子承知ノ次第御相談可被致候其
   他ハ皆々ノ相談ニ任セ申候
第五 御下賜品(各殿下ヨリノ分も)
   御紋付ノ諸品は悉皆取纏メ学習院
   ヘ寄附可致此儀ハ松井猪谷両氏ヘ
   も御頼仕置候

第六 書籍類ハ学習院へ採用相成候分ハ
   可成寄附其餘ハ長府図書館江同所
   不用ノ分ハ兎も角もニ候
第七 父君祖父曾祖父君ノ遺書類ハ乃木
   家ノ歴史トモ云フヘキモノナル故
   厳ニ取纏メ真ニ不用ノ分ヲ除キ佐
   々木侯爵家又ハ佐々木神社へ永久
   無限ニ御預ケ申度候
第八 遊就館へ出品は其儘寄附致シ可申
   乃木ノ家ノ紀念ニハ保存無此上良
   法ニ候

第九 静子儀追々老境ニ入石林ハ不便ノ
   地病気等節心細クトノ儀尤モ存候
   右ハ集作ニ譲リ中野ノ家ニ住居可
   然同意候中野ノ地所家屋ハ静子其
   時ノ考ニ任セ候
第十 此方屍骸ノ儀は石黒男爵へ相願置
   候間可然医学校へ寄附可致墓下ニ
   ハ毛髪爪歯(義歯共)ヲ入レテ充
   分ニ候(静子承知)

○恩賜ヲ頒ツト書キタル金時計ハ玉正
   之ニ遣ハシ候筈ナリ軍服以外ノ
   服装ニテ持ツヲ禁シ度候
 右ノ外細事ハ静子へ申付置候間御相談
 被下度候伯爵乃木家ハ静子生存中ハ名
 義可有之候得共呉々も断絶ノ目的ヲ遂
 ケ候儀大切ナリ右遺言如此候也
 大正元年九月十二日夜

          希典
               (花押)

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